成田新法事件について分かりやすく解説してみた
【基礎情報】
事件名 工作物等使用禁止命令取消等請求事件
事件番号 昭和61年(行ツ)第11号
最高裁1992年(平成4年)7月1日大法廷判決、民集46巻5号437頁
【背景】
1960年代、航空需要の高まりから、国は、(現)羽田空港を拡張しようとしましたが、技術的な問題やアメリカ空軍管制区域等の兼ね合いから、(現)羽田空港の拡張では対応できないとの結論に至り、新たな空港を建設するための土地を求めることとなりました。
(現)成田空港の候補地として、千葉県富里市・八街市(旧:印旛郡富里村・八街町)、千葉県浦安市(旧:東葛飾郡浦安町)沖や茨城県の霞ヶ浦沖、神奈川県横浜市金沢区の金沢八景沖の埋め立て地などの候補地を検討しましたが、住民の反対運動等、紆余曲折があり、最終的には「成田市三里塚」に決定されました。
このときの理由としては、国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林という広大な官地(行政の所有地)があり、転用が容易だったことが挙げられているそうですが、そのほかに、周辺には、戦後開拓で入植してきた経済力のない農民(その多くは満州国・沖縄県からの引き揚げ者)が多くいたことから、民有地の土地取得も容易に進むと考えられていたそうです。
しかし、御料牧場や県有林等は、全体の4割程度しかなく、引続き民有地の土地取得が最重要問題となったが、富里・八街同様に事前説明の全くないままの発表であり、三里塚案を報道で知った地元住民は猛反発しました。
その後、国と空港反対同盟の争いが続きつつも、成田空港の建設は進み、開港を目前に控えた1978年3月26日、空港反対同盟が、成田空港の管制塔に侵入し、機器を破壊する事件が発生しました(成田空港管制塔占拠事件)。
この事件によって、空港の開港は約2か月遅れることとなりました。
【成田新法の成立】
国は、空港反対同盟の抵抗に鎮めるため、成田空港から周囲3キロメートルの範囲内で、空港の安全を脅かす恐れのある建築物についての使用禁止命令を行うことができる法律を制定しました。
これが「新東京国際空港の安全確保に関する緊急処置法」であり、いわゆる「成田新法」です。
さらに、この使用禁止命令に従わない場合、国は、その施設を撤去できる旨も定められました。
実際に、国は、成田新法に基づき、空港反対同盟の拠点(通称:横堀要塞)を使用することを禁止する命令(=行政処分)を1979年以降、毎年行いました。
【成田新法事件】
これに対し、空港反対同盟は、「そもそも成田新法は、違憲であるから、成田新法に基づいて発出された工作物使用禁止命令も無効である」として、国を相手に命令取消請求と損害賠償請求のため、訴訟を提起しました。これが「成田新法事件」です。
○新東京国際空港の安全確保に関する緊急措置法
(工作物の使用の禁止等)
第三条 国は、規制区域内に所在する建築物その他の工作物について、その工作物が次の各号に掲げる用に供され、又は供されるおそれがあると認めるときは、当該工作物の所有者、管理者又は占有者に対して、期限を付して、当該工作物をその用に供することを禁止することを命ずることができる。
一 多数の暴力主義的破壊活動者の集合の用
二 暴力主義的破壊活動等に使用され、又は使用されるおそれがあると認められる爆発物、火炎びん等の物の製造又は保管の場所の用
三 新東京国際空港又はその周辺における航空機の航行に対する暴力主義的破壊活動者による妨害の用
2~7(略)
8 国は、第一項の禁止命令に係る工作物が当該命令に違反して同項各号に掲げる用に供されている場合においては、当該工作物の現在又は既往の使用状況、周辺の状況その他諸般の状況から判断して、暴力主義的破壊活動等にかかわるおそれが著しいと認められ、かつ、他の手段によつては同項の禁止命令の履行を確保することができないと認められるときであつて、第一条の目的を達成するため特に必要があると認められるときに限り、当該工作物を除去することができる。
9~16(略)
衆議院 2020.02.09(日)9:11
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/08419780513042.htm
【成田新法事件と憲法第31条】
空港反対同盟は、成田新法が憲法21条1項、22条1項、29条1項及び2項、31条、35条に違反していると主張しました。
この事件は、上記のうち、憲法31条が行政手続に対して適用されるかという点についての重要判例として、よく取り上げられます。
憲法31条について、空港反対同盟(原告)の主張は以下のとおりです。
第31条の適正手続の保障は、刑事手続に限らず、行政手続にも要請されるものである。緊急措置法は、工作物の所有者等に対し、供用禁止命令を発し(第3条第1項)、その違反に対し刑事罰を課し(第9条第1項)、また、工作物の封鎖、除去の処分をも定めている(第3条第6項、第8項)。しかるに同法は、これらの財産権等の基本的人権に対する侵害処分について、工作物の所有者、管理者、占有者に対して告知、弁解、防禦の機会を与える規定を欠くものであり、適正手続の保障がなく、憲法第31条に違反する。
また、前項後段に主張したとおり、同法第3条第1項においては、国の認定基準が著しく恣意的、一般的であつて、これは明確性を欠き、構成要件をあいまいにするもので、この点からも憲法第31条に違反する。
京都産業大学 主題別判決一覧 2020.02.09(日)09:16
憲法31条は、通説によれば、刑事手続や罪刑法定主義に関する保証であるとされていました。
○憲法第31条
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
e-Gov 2020.02.09(日)09:13
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=321CONSTITUTION
これについて、最高裁の判断は、以下のとおりです。
憲法三一条の定める法定手続の保障は、直接には刑事手続に関するものであるが、行政手続については、それが刑事手続ではないとの理由のみで、そのすべてが当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。
しかしながら、同条による保障が及ぶと解すべき場合であっても、一般に、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に応じて多種多様であるから、行政処分の相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきものであって、常に必ずそのような機会を与えることを必要とするものではないと解するのが相当である。
本法三条一項に基づく工作物使用禁止命令により制限される権利利益の内容、性質は、前記のとおり当該工作物の三態様における使用であり、右命令により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等は、前記のとおり、新空港の設置、管理等の安全という国家的、社会経済的、公益的、人道的見地からその確保が極めて強く要請されているものであって、高度かつ緊急の必要性を有するものであることなどを総合較量すれば、右命令をするに当たり、その相手方に対し事前に告知、弁解、防御の機会を与える旨の規定がなくても、本法三条一項が憲法三一条の法意に反するものということはできない。また、本法三条一項一、二号の規定する要件が不明確なものであるといえないことは、前記のとおりである。
最判平4.7.1大法廷判決
行政手続と憲法第31条の関係については、①直接適用説、②準用・類推説、③否定説があります。それぞれ、学者間においても対立があるらしいですが、最高裁の判例は、行政手続も憲法第31条の保証の範囲内としつつも、行政手続の内容によっては、個別に判断するなど弾力的な運用を行う必要があるとしていることから、②準用・類推説に立ったものと思われます。
しかし、憲法第31条と行政手続が具体的にどこまでの関連性を有するものなのかについては、今後も議論がありそうです。
最高裁はこの点についての判断を明示せず、成田新法は憲法31条の法意に反しないとして合憲にしたにとどまり、行政手続に憲法31条が適用されるのか、されるとしてどこまで保障されるのかといった論点はなお残ったままである。
2020.02.09(日)1:24
【余談】
空港反対同盟は、この命令を無視し、そのまま横堀要塞を使用し続けました。
国は反対同盟との話合いによる解決を図ってきましたが、成田新法の成立から約10年経過した1987年頃から、国は、とうとう横堀要塞を強制的に除却していきました。訴訟提起が1981年、最高裁判決が1992年であるので、裁判の途中の段階から国による除却が行われていたことになります。
なお、直近で、2011年8月に撤去されたものもあり、未だ残り続けている施設も点在しているそうです。
木の根団結砦 - 1987年11月27日除去(木の根団結砦撤去事件)
東峰団結会館 - 1989年12月4日除去
木の根育苗ハウス - 1990年3月21日除去
三里塚闘争会館 - 1990年8月23日除去
大清水団結小屋 - 1990年10月16日除去
横堀団結の砦 - 1990年11月29日除去
横堀要塞 - 2002年11月、自主的に解体・撤去
菱田現地第一砦 - 2003年3月、自主的に解体・撤去
天神峰現地闘争本部 - 2011年8月6日除去
2020.02.09(日)0:46